朝鮮半島出身の労働者が、一日の活力源として食べていた料理が起源
第二次世界大戦のころ、朝鮮半島から炭鉱夫として働きに来ていた朝鮮の人々が、過酷な労働の後に活力源として食べていたいわゆる「ホルモン鍋」が起源の1つではと考えられています。
ごま油で唐辛子を炒めてからモツを入れ、調味料やねぎ等の野菜を入れてすき焼きのように食べていたのが始まりといわれています。
その後、終戦後の豊かではない時代には、当時の福岡県博多で主流だったペラペラのアルミ鍋を使い、ニラとモツなどのホルモンを醤油味で炊いた料理となったようです。
戦後の時代背景と庶民の知恵で生まれた創作料理
ホルモンという言葉は関西弁で「放るもん」、捨てるものという意味で使われる言葉。
歴史的に、動物の内蔵(ホルモン)は食材に使われない部位として扱われていたこともあり、食材としては考えられていませんでした。
それが、ホルモンにありあわせの野菜を加えたお手軽な鍋として庶民の間で急速に広まりました。
今でこそメジャーな鍋料理として定番のもつ鍋ですが、その歴史を紐解くと食材とすら扱われていなかった部位を、当時の時代背景や貧しい人たちの知恵から生活の糧として生み出された創作料理でした。
その後、経済成長に伴い食料生産が進み、生産量の増えたキャベツが加わり、もつ・にら・キャベツ・醤油味のスープ・ちゃんぽん麺の博多もつ鍋が確立していきました。
そのあと1990年頃、関東地方初出店として博多のもつ鍋店が東京出店をしたことがきっかけで火付けブームとなり、安くてボリューム満点でお酒との相性がよいこともあり一躍人気の鍋料理となりました。
またホルモンがコラーゲンやビタミンが豊富で美容に良く、ニラやキャベツなどの野菜も摂取できることもあってTVや雑誌などのメディア広告も手伝い女性ファンの獲得に繋がりました。
加えて滋養強壮に良く「医者いらずの鍋」と呼ばれることもあり、老若男女幅広く受け入れられ今にいたります。
世界に誇る商業都市として発展した博多の町
現在も九州地方を代表する博多。遥か昔は太宰府の外港である大宰博多津として中国に遣隋使、遣唐使を派遣する玄関口でした。博多は中国や朝鮮に近く、海外に通じる玄関都市として栄えていました。
その後、平安・鎌倉時代には刀伊、蒙古の来襲を受け、博多に鎮西探題が置かれていた。
室町時代になると対明貿易が積極的に行われたことにより、博多が貿易・商業地として発達し、日本三津(堺・安濃津・博多)と呼ばれるようになった。その後博多では博多商人が活躍の場を広げ、堺と並んで自治権を有し、自治都市として発展を遂げた。室町末期には12人の行司が市政を運営することになった。
その後、織豊時代から江戸時代になると、徐々に自治が制限されるようになった。
天正15年(1587年)に秀吉が九州入りすると、方十町の町割(太閤町割)による博多の復興が行われた。現在の博多地区は秀吉の都市整備によってこの頃完成した。
そして商人の町として、再び発展した。
「もつ鍋」(4人分)
- エネルギー 474Kcal
- 食塩相当量 3.8g
- ※一人分の値
材料
- 牛、又は豚もつ(処理済のもの)400g
- たまねぎ1個
- にんにく2片
- キャベツ400g
- にら1束
- 豆腐1丁
- その他、しいたけやしめじなど好みで用意
- 卵4個
- 鶏スープ1.5L
- 酒1/2カップ
- A みそ(米と麦の合わせみそ) 大さじ7
- A みりん 大さじ2
- A 砂糖 大さじ2
- A しょうゆ 少量
- A 鷹の爪 少量
作り方
- 小鍋にお湯を沸かし、もつを湯通ししてザルに上げる。にんにくは薄切り、その他の具材は食べやすく下ごしらえをする。
- 土鍋に鶏スープと酒を入れ、火にかける。にんにくとAの合わせみそを溶き入れ、もつ、他の具材を加え味が染みるまで煮る。煮えたところに卵を落とし入れ、半熟になったら食べる。