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全国みそ料理めぐり

岩手県 じゃじゃ麺

中国の家庭料理をベースに
盛岡の人々に愛される味に作り上げた

戦後の盛岡で手に入る素材を工夫、地域の人の舌に合うように仕上げられた味

岩手県の県庁所在地である盛岡市。県庁や市役所が並ぶ官庁街とは道つづきの桜川商店街に店を構える「白龍」。創業は今年で68年。今では全国に名を轟かせる盛岡の郷土料理「じゃじゃ麺」を作り出したが元祖だ。

「じゃじゃ麺」のルーツは、中国の家庭料理「炸醤麺(ジャージャー麺)」とのこと。「白龍」の創業者である故・高階貫勝さんが、第二次世界大戦時に旧満州で食べた味を帰国後に屋台で再現したことがはじまりだ。当時の日本は戦後のまっただなかにあり、食材の入手に苦労をした時代だ。「じゃじゃ麺」は、とりわけその中でも手に入りやすい素材を工夫しながら、盛岡で暮らす人々の舌に合うように作り上げられた品。

その後は観光ガイドなどでとりあげられたことがきっかけとなり、盛岡市内でも提供する店舗が増え、いまでは盛岡を代表する郷土料理として全国で認知されるようになった。

「じゃじゃ麺」は、茹であげられたうどんを湯切りし平皿にのせ、その上に特製の甘辛い肉味噌と刻んだ長ネギときゅうりをのせた麺料理。お好みでおろし生姜、酢、ラー油などを加え、それらを混ぜあわせて食べる。
麺を食べ終わった後には、器に残った味噌に茹で汁と生卵をとき入れて混ぜ合わせた鶏蛋湯(チータンタン)を味わうのが一般的だ。

水田地帯がひらけ、雪が少なく小麦の栽培が盛だった

「岩手」の名称は県庁の置かれた盛岡市の所属郡名「岩手郡」に由来。
その起源は、住民の悪鬼追討の折に対し、人々の信仰を集めて「三ツ石さま」と呼ばれた大岩(三ツ石の神)がそれを懲罰し、鬼の確約を岩の上に手形として残させたことと伝えられている。

盛岡市は岩手県・県央に所在する。県央は北上川・雫石川・中津川が流れ、他地域と比較して積雪量がすくなかったこともあり、古くから規模の大きな水田地帯が開けていた。そのため穀物、畜産業などが伝統的に盛んで、大麦・小麦も栽培され、米、麦を基本にした多種多様な食べ方の工夫により食生活全体が豊かだったと記録されている。

盛岡三大麺について

盛岡市は、総務省統計局が実施した家計調査報告において、中華めんの購入が全国の県庁所在地でもとても多いことがわかっており、麺が市民にとても好まれている街。
そんな麺好きの盛岡市を代表するように「じゃじゃ麺」「冷麺」「わんこそば」は盛岡三大麺として全国に知名度を誇っている。

「冷麺」は朝鮮半島北部出身で日本に移住してきた食道園の青木輝人さんの手により盛岡で誕生。小麦粉に馬鈴薯でん粉を混ぜ合わせたことで生まれた強いコシの麺が独特の歯ざわりを楽しませてくれる。スープは鶏肉・牛骨等を煮込んで味付け。キュウリとゆで卵、季節の果物をのせ、ピリリとした辛さを加えるキムチがさっぱりとした飲み心地の良いコクのスープに深みを加える。
盛岡市の提供店も多く、各お店と麺業者が努力と工夫を加えた自慢の一品が提供される。

「わんこそば」は椀に一口のそばを次々と給仕し、客が椀にふたをするまで続ける食べ方が特徴的な麺料理。
花巻・盛岡などの地域では、古くから祭事の際に地主が大勢の村人や客人にそばを振る舞うという風習があった。しかし100人以上にもなると当時の釜は小さいこともあり、そばが全員に行き渡る前にのびてしまうため、器ではなく椀に通常の分量のそばを小分けにして振るまわれた。
現在のような「わんこそば」としての提供方式になった起源は判明していないが、花巻紀元説(400年前の慶長時代の南部藩主にお椀で提供した説)と盛岡紀元説(政治家 原敬が帰省したさいに「そばは椀コに限る」と言ったことで広まった説)の2種類の説があると言われている。

「ジャジャ麺」(2人分)

  • エネルギー 633Kcal
  • 食塩相当量 2.4g
  • ※一人分の値

材料

  • 豚ひき肉150g
  • 長ねぎみじん切り10cm
  • しょうがのみじん切り1かけ分
  • にんにくのみじん切り1片分
  • たけのこのみじん切り50g
  • 中華そば2玉
  • きゅうり1本
  • ごま油小さじ1
  • サラダ油小さじ2

合わせ調味料

  • みそ大さじ1.5
  • 砂糖大さじ1
  • 大さじ1
  • しょうゆ小さじ1/2

作り方

  1. フライパンにサラダ油を入れ、長ねぎ、しょうが、にんにくを炒める。豚ひき肉とたけのこのみじん切りを加え、色が変わったら合わせ調味料を加え炒める。
  2. 中華そばを茹で、きゅうりの千切りとともに盛りつける。

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