病弱だった藩主の滋養強壮を考え作られた郷土料理
熊本県は全国でも有数のれんこんの生産地。(2019年生産ランキング 6位)中でも細川藩の天保年間に新田開発された宇城地方は今も主産地として栽培が盛ん。栽培面積はなんと宇城地方の28%を占めるほどの主産地。広大なれんこん畑が広がっています。
からしれんこんは、細川藩と縁のある料理として知られています。
時は400年前の江戸時代の寛永九年(1632年)。肥後細川家 初代藩主 忠利公は、日ごろから体が病弱だったことから滋養強壮食として考案され献上されました。
病弱な忠利公の体を心配した禅僧・玄沢和尚は「何か栄養のあるものを」と苦心して探していました。
当時の熊本県は沼地が多く、至るところに蓮が繁茂しており、その根菜であるれんこんには増血効果があることを和漢の書でしりました。
幸い熊本城の外堀にも加藤清正が非常食として植えていた蓮があったため、これを食べて頂こうとしたところ忠利公は「れんこんは泥の中で育った不浄なもの」として決して箸をつけようとしなかったとのことです。そこで一計を案じた和尚は、藩の料理人である森平五郎に命じ、味噌と和がらしを混ぜ合わせたものをれんこんの穴に詰め、小麦粉、空豆粉、卵の黄身で衣を作り油であげて献上したところ、ピリっとした辛さが効いたのか、気に入って常食されるようになりました。
病弱だった忠利公は食欲も増し、みるみる剛健になられた……というのが「からしれんこん」の由来と言われています。
輪切りにしたれんこんの外観が細川家の家紋 九曜(くよう)の紋に似ていることもあり、忠利公は「からしれんこん」の製造法を秘伝とし、明治維新まで門外不出の味でした。これが理由で今でも「からしれんこん」が全国で唯一、熊本県でつくられれない由縁となっています。
地理に恵まれた美しい田園と不知火海の文化
宇城市は熊本県の中央部に位置する人口5万6000人の市です。現在の宇城市は平成17年に旧宇土郡三角町、不知火町、下益城郡松橋町、小川町、豊野町の5町が合併して誕生しました。
九州の経済大動脈である国道3号と、西は天草、東は宮崎県への結束点という地理的状況に恵まれ、美しい田園風景と不知火海の文化に彩られた自然景観、そして都市的機能を併せ持つバランスの取れた水と緑と豊かな地域です。
宇城市ではれんこんの他にも、上部がぽこっと飛び出た「デコポン」というブランド柑橘でも有名です。品種名を「不知火」といいます。
デコポンは寒さに弱いため、温暖な宇城地方は栽培に適していました。
特に海沿いのゆるやかな傾斜地は、冬場も温暖で、空からの太陽光と海面から反社する下からの太陽光が当たる恵まれた環境となっています。
神秘の光「不知火」とくまモン
ブランド柑橘の名前にもなっている「不知火」は、旧暦8月1日(八朔)に、不知火海(八代海)上に見られる蜃気楼現象で、国の名勝として指定されています。
景行天皇の九州巡幸が記された日本書紀には、不知火海上で方向が分からなくなった景行天皇が遠方に灯された火によって陸地に導かれ、「誰が火を灯してくれたのか」と尋ねたものの、誰も知らぬ火(不知火)であったという逸話が記されています。毎年旧暦の日は、観望地・永尾神社に多くの人が集まります。
熊本県といえば今ではすっかりと定着したゆるきゃら「くまモン」の存在も欠かせません。
2010年に熊本県PRマスコットキャラクターとして登録され、翌年の2012年に行われた第一回「ゆるキャラグランプリ」で優勝。くまモンが有名となったことで熊本県の特産品などのPR・観光誘致も行われるようになり全国的な知名度の向上に繋がりました。
「からしれんこん」(2人分)
- エネルギー 205Kcal
- 食塩相当量 2.9g
- ※一人分の値
材料
- れんこん125g
- みそ大さじ2
- 和からし大さじ1/2
- 小麦粉1/4カップ
- 水1/4カップ
- 砂糖・塩少量
- サラダ油適量
作り方
- れんこんを洗って、皮をむき両端を切る。
を少し入れた熱湯で5分ほどゆがいた後、ざるに上げて、水切りし、自然に冷ます。 - みそ、和からし、砂糖を混ぜ合わせたものに、れんこんを押しつけて穴に詰め込む。
- れんこんに水で溶いた小麦粉をつけて、170度のサラダ油で揚げ、冷めてから食べやすい厚さにスライスする。