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全国みそ料理めぐり

和歌山県 金山寺みそ

鎌倉時代に禅僧が宋から持ち帰った
みそと醤油の祖

750年続く伝統製法でつくられた金山寺みそ

金山寺みそは、しょうゆとみその祖と言われています。
米・大豆・裸麦を蒸し、そして麹にします。
そこに刻んだ白瓜・なす・生姜・紫蘇などの野菜を混ぜ込み、塩・砂糖・水飴などを加え、樽に漬け込み、重石をのせ熟成させて醸造したみそです。

1292年の鎌倉時代の初め、禅僧だった覚心が高野山で密教を学んだ後、宋(中国)に渡り浙江省径山寺にて修行を積みました。その際、覚心は修行の傍ら径山寺みそ(現在の金山寺みそ)の製法を習得。5年後に帰国した覚心は湯浅町の近隣の紀伊由良に興国寺を建立し、径山寺味噌の製法を伝授したのが始まりと言われています。

紀州金山寺みそは、それぞれの麹が熟成した甘醤油の味わいに生姜・紫蘇の風味が加わり、そして白瓜・なすの食感が相見える、香り豊かでなめらかな味わいの保存食として親しまれていました。また当時の近畿地方の朝食が朝粥だったことから、何よりも金山寺みそはおかずとして喜ばれました。

2つの川が生み出す優れた水質と豊富な水がみそ作りに適していた

和歌山県湯浅町。
伝統の製法を受け継ぎ古くから金山寺みそが作られ続けています。

湯浅町で金山寺みそが伝承された理由は、覚心が建立した興国寺から近いこともありましたが、豊かな水があったことも理由と言われています。
町内を山田川、広川の2つの川が流れており、地下水が豊富でした。また水質も大変良いものだったこともあって金山寺みその製造に適していました。

その後、民衆の保存食としても広まったことで、紀州地方を領した領主等の産業推奨政策によって紀州の他地域にも広まっていきました。
現在の製法に近い工業的な製法は、1615年に完成されたといわれており、当時幕府が開かれていた江戸でも紀州名物として販売されていたようです。

以来、和歌山市、湯浅町、御坊市を中心とする和歌山県内で昔から伝わる製法で製造が継続されており、「紀州金山寺味噌」の名称で今日でも販売されています。
1951年には、和歌山県内の味噌生産者らにより紀州味噌工業協同組合が設立され、「紀州金山寺味噌」の名称を使用するための規定を策定しブランドの保護が図られています。

金山寺みそは醤油の祖

金山寺みそ漬け込む段階で使う野菜から余分な水分が出ます。これがカビなどの腐る原因になるとされ当時は捨てられていました。
ところがこの汁を調味料として使ってみたところ意外にもおいしいことが見つけられました。
これが醤油の初まりと言われています。

以来、湯浅では、はじめから醤油を作るつもりで味噌を仕込むことが行われるようになり、改良を重ねて今の醤油となりました。湯浅から醤油が商品として出荷されたことは、今から400年前の安土・桃山時代の文献に記されています。

その後、徳川御三家紀州藩の保護のもと、藩の専売制も手伝い文化・文政時代の湯浅町1000戸のうち92軒も醤油屋があったとされています。
享保の改革で有名な享保年間には、湯浅から浜口儀兵衛が今の房総半島に渡り、銚子で醤油の生産をはじめていたようです。(現在のヤマサ醤油)。またその名残として、房総半島の地名に和歌山の地名と同じ場所がいくつか存在しています。(勝浦や白浜など)

「金山寺みそ」(2人分)

  • エネルギー 65Kcal
  • 食塩相当量 1.0g
  • ※一人分の値

材料

  • 金山寺みそ大さじ2
  • きゅうり5本

作り方

  1. きゅうりは塩でもみ、さっと洗って切る、金山寺みそを添える。

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